中国最古の医学書として、たびたび名前がでる「黄帝内経」。
「こうていだいけい」と読みます。
TVのCMでも使われた「女性の体は7の倍数、男性の体は8の倍数の年齢で変化する」は、この書物からのフレーズです。
現在、黄帝内経は、「素問(そもん)」(基礎理論編)9巻と「霊枢(れいすう)」(実践編)9巻の計18巻が伝わり、ユネスコの世界記録遺産に登録されています。
黄帝内経は、紀元前3世紀、前漢(B.C.202~)の時代にまとめられたと伝えられています。
前漢は項羽と劉邦が戦って、勝った劉邦が興した国。
その頃、日本は水稲耕作が始まって弥生時代に入りました。
中国の古代史は戦乱続きです。
黄帝内経は散逸してしまいました。
唐(AD612~907)の時代の8世紀半ば、日本は奈良時代のころ、当時の知識を加えてまとめなおしましたが、それも散逸。
現在伝わるものは、宋(AD960~1279)の時代の日本では平安後期の平清盛の頃に、またまた、まとめなおされたものがもとになっています。
ところで、中国では散逸してしまった唐の時代に再編されるよりもさらに前の黄帝内経の一部が、京都の御室仁和寺に残っていることが江戸時代末期に発見されました。
もちろん印刷技術のない時代ですから写本の写本の・・・ですが、国宝になっています。
紀元前からの中国伝統医学をまとめた黄帝内経ですが、書名になっている黄帝は、書かれた時期からさらに遡って紀元前2510年~2448年の人で、中国を統治した五帝の最初の帝とされています。
同時に、中国医学の祖ともされています。
ここまで古いとさすがに中国といえども黄河文明の頃。
計算すると138歳のご長寿の黄帝は、当時すでに伝説の人だったでしょう。
日本はというと、縄文時代たけなわの中期から後期に移る頃です。
さて何が書かれているのか。
年齢に伴うからだの変化、季節の養生法、宇宙の成り立ち、陰陽について、五行について、病気についてなど、さまざまなことが書かれています。
たとえば、理論編である「素問」には・・・
黄帝:センセ!昔の人は100歳になっても元気にし
たはったそうやけど、なんで今の人は50歳
くらいで衰えはるの?
岐伯先生:そら、昔の人は貴人も庶民も自然にそっ
て生きたはったからや。酒をがぶがぶ呑まは
ったり、その勢いでおなごはんのところへ行
かはったりなんて無茶苦茶はせえへんかっ
た。
とこんな具合に、黄帝が先生である岐伯(きはく)に質問する形式で書かれてあります。
なかなか興味深~い本です。